『ラッキー』について思うこと。
先日、新宿の花園神社の酉の市(一の酉)へ行って、熊手を買ってきた。
一昨年から思いつきで始めた熊手。
商売繁盛のお守りですね。
今回、いろいろと歩き回り、デザインはなん、予算は明確に(1万5千円!)お店の人に伝えて、選んでいったのだけど、
あるところな「あんちゃん」が、他のトコと比べて大きくない?な熊手を予算の価格と言ってくれて、
妻とLINEやり取りで確認して、買うことにした。
で、会計のタイミングで、会計担当のおねーさんが、
「これ、2万3千円…」
と呟き、あんちゃんが焦る。
隣にいた社長が数秒考え、
「それで良いよ」
と一言。
ひとつグレードの高い熊手をゲットしました。
あんちゃんは「あとで社長に怒れられます!」と微妙な感じになってたけど、
社長が「運が良かったね。福を持ってってよ。その代わり来年も来て、同じのを(正規の値段で)買ってな!」
と送り出してくれたので、
「(来年のことは分からないけど)頑張ります!」
と伝えて帰ってきた。()←は心の声w。
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さて、表題の「ラッキーについて」。
熊手って、縁起物なわけですよ。
なんなら支払う方だって「ご祝儀」的な意味合いがあるも思うんですよ。
それを、安く買ってしまった、と。
自分の中で、なんとなく罪悪感があるというか、
そもそも「ラッキー」というのが、あまり好きでなくて。
なんか、実力ではない、というイメージがある。
しかし、運も実力の内、という言葉もあるし、
妻も喜んでいるので、
あまり気にしなくて良いのか。と感じて、
その運をどう使うか?ということを考えた方が前向きな気がした。
なにかを「運ぶ」のが「運」だから、
お金や知識同様、溜め込まず、シェアしてフローすることで価値が活きるのかな、
と思う出来事だった。
この説を証明するために、年末から来年、がんばろう。