ワーク・アズ・ライフ で人生を楽しく生きていく

ライフスタイルとビジネスを枝葉末節に囚われず考察する気まぐれブログ

子どもが生まれた件を、ものすごく客観的に書きたかったので書いてみます。

 

f:id:largeforest:20190129183840j:image

年末に、子どもが生まれました。

 


里帰り出産で、なんと今日が帰ってきた記念日です。

(そんな日に自分は仕事で外出中w)

 

産後すぐくらいから下書きしてた当記事が、やっと書き終えた記念日でもありました。笑

(気づけば年を越していたw)

 

 

 

明けましておめでとうございます。

 

 


さて、表題の通り、


子どもが生まれた件を、ものすごく客観的に書きたかったので書いてみます。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━

  • 出産で夫が役に立たないなんてウソ。
  • 「自然」な妊娠、分娩で無くても、子どもが生まれる素晴らしさは一切損なわれない。
  • 人はお祝いをしたいもの。
  • 見返りを求めない愛?見返りがある愛?
  • おとなしい子は良い子?

━━━━━━━━━━━━━━

 

 

出産で夫が役に立たないなんてウソ

 


お産では男は何の役にも立たない。

 

そんな話を聞きますが、ウソですね。

 


というか、役に立てることはたくさんあります。

 

むしろ、役に立て。笑

 


応援することしかできない、とも言われますが、

 

まぁ確かにその部分は大きいですが、

 

しかし「応援」というと「声掛け」か「身体をさする」くらいな意味合いに感じます。

 

いやいやもっと具体的なサポートをしないと。

 

お産中は、妊婦は終始脂汗ですから、こまめに顔を拭いてあげないと髪が顔にまとわりつきますし、

 

イキミ逃しでけっこう強く骨盤と骨盤底を支える力を使うし、


イキム時はしっかり身体を支えて押す必要がある。

 


自分の体験では、とにかくお産は大変だったので、暇なことなんて全然ありませんでした。

 

トイレは3回くらい行きましたが、食事は干し芋もひとかけら食べたくらいでした。

 

緊張感がありますから、そんなにお腹も減らなかったです。

 

 

それくらい、共同作業でした。

 

 

出産の瞬間は、産科の先生も助産師さん2人と協力して、妻がイキミやすいように(腹圧を掛けやすいように)

肩甲骨あたりからお腹に力を入れる方向に押し込んで押し出すサポートをしました。

 


レーニングの最後の追い込み的なサポートでした。笑

 


お産が終わった後に妻から、

 

「良いコンビネーションだったね」

 

と言ってもらえたから、役に立てて良かったと、もう自信を持って言えます。( ̄▽ ̄)

 

 

 


「自然」な妊娠・分娩でなくても、子どもが生まれる素晴らしさは一切損なわれない。

 

 


うちは人工授精でした。

 

生まれる時も、帝王切開ではないものの会陰部を切り、吸引でなんとか出てきました。

 


言い換えれば、自然な状態では子どもができることも生まれることもありませんでした。

 

しかし、それで良いと思うんです。

 

 

現代では、人は何をするにもテクノロジーを使います。

 

人はひとりでは生きられない、という概念は、現代では科学技術まで意味合いを広げてます。

 


見ようによっては、生き物として不完全であるかもしれません。

 

しかし、不十分であっても社会の中で役割を持ち、社会に貢献することはできるわけで、生きる価値が損なわれることではないと考えます。

 

 

また、不完全でも子どもを欲するのは生き物としての根源的な欲求であると思いますし

(そう思わないことの否定ではありません)、

 


その欲求を達成するために、ある意味「生命」とは対局にある人工的な科学技術を用いる、というやり方は、すでにこの世界では「自然」なことなんだと実感しました。

 


(分娩で扱われる技術はマンパワーに大きく依存するものでテクノロジーというには程度が低いものなのだろうけど、それでも文明によって構築されたシステムであることには違いないですし)

 

 

 

このあたりは落合陽一氏の『デジタルネイチャー』の世界観とつながると思ってますが、


つまりテクノロジーによって選択肢は増えているのだから、価値観も多様になっているわけで、


つまり男性もお産に対してできることが増えているし、近代の常識を現代に当てはめる必要もないし、

むしろ主体性を持って考えなければならない時代になっていることを強く実感します。

 

 

 

人はお祝いをしたいもの。

 


そして、SNS

 


自分たち夫婦のFacebook史上、もっとも多くの「いいね」とコメントを頂きました。


コメントの一部の方は「おめでとうございます」だけ。


いやいや、返信書きにくいですから。笑

 

 

でも、受ける側としては有難いことですよね。

 


多くの方と関わり合いを持つということは(特に現代においては)、言い方は悪いですが「面倒くさい」面もあるわけですが、


客観的にこの状況をみると、やっぱり有難いことだなー、と理解できます。

 

 

そして、祝う側からしても、出産と結婚は無条件にお祝いをして良いイベントといえます。


「いいね」とかお祝いのコメントをしやすい場でもあり、それに対して誰かに気を使うことのほとんどないですからね。

 

 

そもそも、人をお祝いしたい、という気持ちは人間の社会性のひとつだと思っていて、

 

多くの人は人を祝いたいものなんじゃないかと思っています。

 


しかし現代では「同意を表明する/肯定する」こと自体にストレスがあると感じます。

 


例えばAという意見に同意/肯定すると、それはつまりBという意見を否定したことになる、という風潮があります。

 


実際には肯定でも否定でもない意見って存在するはずなのに、どうも「勧善懲悪」な、敵や味方だと言いたがる風潮がありますからね。

 


うっかり同意や肯定もしにくい。

 

 

 

その点、出産や結婚は、大多数の人にとって幸福なことじゃないですか。


おめでとう!ということが、誰かに忖度せず言える。


多くの人が、そんな機会を欲しがっているのかも知れないなー、と感じた一件でした。

 

 


見返りを求めない愛?見返りがある愛?

 

 


親は子に愛情を注ぎます。


見返りを求めない愛と言われます。


たしかに、赤ちゃんが大人に「何かを能動的に行なう」ことはありません。


というか、できません。

 

しかし、それを補って余りある「可愛さ」をもらえます。


このことが、子育てにおいても、発展して人と人のコミュニケーションにおいて大事なスキルになってくると感じます。

 


大切なのは、赤ちゃんの可愛さを引き立たせるような接し方をすること。


そこを念頭に置くことが、親の役割なんじゃないかと思っています。(検証中)

 

 


おとなしい子は良い子?

 

 

新生児は『単なる反応で動く生き物』です。


意志は…あるかもしれませんが、表現する機能は『泣く』以外ありません。

 

 

一般的に、あまり泣かない静かな子だと「良い子」を言われます。


これには違和感があります。

 

 

別に良い悪いではなく、単に反応の問題なんです。


明確に身体機能の発育度合いによって変わります。


そして発育度合いは、個人差がとてもとても大きいんです。

 

 

けっこう重要なことなんですが『泣かない』ということは『反応が薄い』ということであり、


もしかしたら単なる発達障害かも知れないんです。

 


それなのに、なぜ『おとなしい子は良い子』だと思うのでしょうか?


それは『泣く子は悪い子』の裏返しなような気がしてなりません。

 

 

『泣く子は悪い子』?


もちろん、そんなことはありませんよね。

 

つまり、正確には『泣く子は「大人にとって都合の」悪い子』という暗黙の認識があるような気がしてなりません。

 

 

大人の都合で成長の良し悪しを決められることは、子どもの成長に大きな損失を与える可能性があります。

 

けっこう、大人の都合で子供の良し悪しを決定付けられていることって多いです。

 

育児方法が時代によって変わるのも、時代によってが変わるわけないですからね。


残念な、大人の都合です。

 

 

親として、大人の都合に振り回されないように自己防衛をするために勉強が必須な時代だと感じますし、


このブログも、その一環として書いてみました。