予測できない事態をアテにしてはいけない。を「遅刻」から考える。
人間はいつも「たぶん、こうなるだろう」予測、予想をしながら生きている。
未来は誰にも分からないのだから、確率はどうあれ、1秒先でも100年先でもなんであれ、未来を想像して生きている。
そして、社会はそれを担保にして動いている、と言っても良い。
なにか大きな話に聞こえるが、ホント身近な話だと、
例えば「遅刻」が良くないのは、その人がいる前提で様々なことが成り立つ未来をみんなが(本人を含め)想定しているのに、
それが欠ける、ということは、みんなにとって不測の事態なわけだ。
(遅刻する、を予測して想定するのも方法だが、そのクオリティは低くなるだろう)
では逆に、遅刻する方は何が問題だったのか。
寝坊する、電車が遅れる、天候が荒れる、などの予測ができなかったから、と言えるのではないだろうか。
どうしても不可避な不測の事態は起こるだろうが、それは稀であり、
多くの場合は、予測しようと思えばできるはずだ。
前日早く寝る。ちゃんと目覚ましを掛ける。
電車やバスの時刻表などをチェックして、他のルートを含めて調べておく。
天気予報を見る。荒れる前に出掛けるなどする。
その予測を元に、明らかに難しいと判断できる場合には、その旨を関係者に伝えれば、
今度は関係者が予測することができるので、リスクは少なく抑えられるだろう。(それでもクオリティは下がるはずだが)
予測が甘いと、あるいはアテにならない予測をしてしまうと、痛いしっぺ返しが来る。
きっと起きれるだろう、
電車は時刻通りなものだろう、
きっと明日は晴れるだろう、
根拠のない思い込みは、遅刻のリスクだ。
予測をすることで、例え不測の事態が起こっても、ダメージは低く抑えられるだろうし、
確率の高い予測を元にした行動は、安心感が高いはずだ。
自分自身のメンタル的な健康のためにも、関係者みんなのためにも、広くは社会のためにも、
予測をする習慣をつけると良いと思う。