誰かの役に立つことを、もっと真剣に、骨の髄から考えたい
超久しぶりな投稿です。
書きたいことが山積みになり、全く書けない病真っ只中。
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というわけで、今朝の『linkedin』のトピックスより。
(国内アプリ(LINEとかyahooとか)とは違った視点で面白いです。)
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世界の「超富裕層」の人口ランキングで、日本からはトップ10に東京が3位、大阪が10位と2都市がランクインした。
…(中略)
2017年の保有資産3000万ドル(約33億円)以上を持つ「超富裕層」の世界人口は前年比13%増で25万5810人だった。最も多かったのは香港(1万人; 前年比31%増)で、2位の米ニューヨーク(8900人)を抜いてアジアの都市が一位となった。
…(中略)
東京の超富裕層の人口は6800人、大阪は2700人だった。
[引用:linkedinトピックス http://bit.ly/2CKRDVG ]
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このニュースを見て、
「この人たちの「おこぼれ」をもらうにはどうしたら良いんだろう?」
なんで思わず考えてしまった。
しかし、その次に、
「いや別に超裕福層だけでなく、それこそ庶民のみなさまに関心を持ってもらうにはどうしたら良いんだろうかって考えれば良いじゃないか」
と思った。
マーケティングとか情報や思考のアウトプットって、こういう発想が大事なんだと思う。
つまり、
【誰かの役に立つ】こと。
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むかーし、ヨガの友人に教わった、その先生が言っていたという言葉
他者の幸福を願うことが、幸福の原因。
自己の幸福を願うことが、苦悩の原因。
いつの時代もどこの世界でも、これが人間の真理なのだろう。
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しかし、未だに骨の髄に染み込んでいないのはどういうことなのか、自分。
日々、是、精進。
これも、いつの時代もどこの世界でも、人間の真理なのかなー。
GWにハーフマラソンを走り、その後、妻の実家に行き、そのまま温泉小旅行をした、後の日記。
先日「目標設定について」のブログを書いた。
GWにハーフマラソンを走り、その後、妻の実家に行き、そのまま温泉小旅行をした。
というイベントが終了したら、疲れた。笑
もちろん、走ったり親戚に会ったり旅行したりで、体力的にも精神的にも(嫌な意味ではない。非日常は気づきが得られる反面、神経的な疲労もあるもの)
疲れたのもあるが、思うに、ひとつの「達成感」が「喪失感」にもつながっているのではないかと自覚する。
自分の中では、もちろん目標はある。
仕事もプライベートも目標があるが、しかしそれは他者と比べるものではないし、披露するものでもない。
しかしそうすると、期日も責任感も明確なものはないので、評価されない分、モチベーションも低くなることを実感。
アドラー心理学的(嫌われる勇気)に考えても、他者からの評価をモチベーションにするのは、良い結果を産まないことは分かっているが、
とはいえ、他者との関わりが社会であり人生なので、他者への良い影響(役に立つ、一緒に取り組み喜ぶ、など)があった方がモチベーションになるのは間違いない。
…と、書きながら考えたら、いろいろ解決の糸口が見えた気がする。(自己完結。笑)
久々にこのブログを書いてみようと思った理由は、書く事は考えをまとめる(「見える化」する)のに効果的なことを、無意識に思ったからかもしれない。
ふと、立ち止まりそうになったらまた書くことにしよう。
エネルギーを持て余すと、腐って腐臭を放って毒となる
食事においても、あまったエネルギーが体脂肪になり身体に毒となるが、
それはバイタリティな面でも同じことが言える、ということを聞いてものすごく納得した。
何かをしようと思い立った時に行動が伴わないと、
何かをしようとしたエネルギーだけが取り残されてしまい、
結果としてかえって毒になる。
これは、ホント身にしみて実感する。
メンタル的にも毒であり、結果的に身体にも影響する。
先日も20年以上ぶりくらいにインフルエンザにかかったのだが
(そして体重が4kg減り、体力的なダメージも未だ引きずっているのだが)
この体調不良でさえも、日々の行動の負の蓄積が影響していると考えると
辻褄が合う結果であることが分かった。
「目標設定」をテーマに考えを広げていくと、いろいろなことにつながり理解が深まる。
2017年をより良い年にできるよう、あと一週間、エネルギーをしっかり使って代謝をして、心身デトックスしていこう。
学びが多くて楽しい最近。目標設定について。自分の未来像について。(追記)
久しぶりの更新。
哲学的な、マインド的なことを書きたくなると更新します。笑
最近、目標設定について考えることがあり(時期的なものもあるでしょうが)
さらにタイミング良く、それについての音声教材を学ぶ機会もあり、
あらためて目標設定について考え、仮ではあるが目標を立ててみたら、
なるほど、それだけで世界は変わるものだ、と実感。
- 日々の、すべての決断に、真摯さを持つ。
- 日々の、すべての選択が、より良い流れにつなげる。
これをしばらくの目標にしよう。
…と、書きながらさっそく追記。
このひとつ前の記事と矛盾があるように見える。
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今に集中するということは、妄想に流れないこと。予測を立てながらも現状を捉える。
何かをしている時に、他のことを考えてしまうことって、ありますよね。
ある意味、予測を立てながら行動している時の「予測」ですらも「今ここ」から離れていると言える。
今に集中するということは、妄想に流れないこと。
あるいは、予測を立てながらも現状を捉え、逃さないこと。
いつもできるものではないかも知れないが、できてるな、と感じるときは、世界を明るく、クリアに感じる。
得しようとか、うまく生きようとか、そういうのではなく、
せっかくならば、明るくクリアな世界で生きていきたいと思うのだ。
自分のことも分からないのだから、神様を信じることができなくて自分を信じることができる?
自分のことも分からないのだから、神様を信じることができなくて自分を信じることができる?
とある友人が言っていた言葉。
なるほど、信心ってのは、けっきょくは
「いかに自分自身を信じられるか」に行き着くのか。
数年前に聞いてから、神社仏閣に行く時の気持ちが変わって、
去年から「酉の市」で熊手も買うことにした。
神頼み、というか、人事を尽くして天命を待つ、的な。
頑張らない人間にも、たまには運でどうにかなることもあるけど、
けっきょくは努力をしたり、真摯で誠実であることか報われるのだろう。
余談だが、この、いわば「運」のロジックも、少しでも解析できればと思う。
これは悪い意味ではなく、少しでも自分の努力でできる範囲を広げたいのだ。
自分が本当にしたいことが、自らの固定概念に制限されていた。
前回、自分の世界の広さは自分が決めている、というブログを書いたのだけど、
今、自分自身にある「殻」をとても感じる。
固定概念に囚われているなーと実感。
いつも、固定だったお客様が離れて気味な最近。
理解はされつつも、なんとなく距離を感じるのは、自分の中での固定概念にあるかも知れないと気づいた。
「今、自分がしている仕事とは、こういうこと。」
という固定概念に、
今、自分ができること全てを発揮できていない気がする。
自分の能力を高く勘違いしている(アドラー的な「優越コンプレックス」になっている)わけでは、きっとない。
自分がされて嬉しいと思うことを、相手にする。
自分が本当にしたいことをする。
そんな、初歩的なことが、自らの固定概念によって制限されていたかも知れない。
あらためて、ふと気づいた。
いや、いろいろなことから気づかされた。
うまくいってない時というのは、反省の機会でもあるが、
あらためて、成長の機会なんだと感じた。
殻、破ろう。