言葉は認識を深め概念を広げる〜「ボディマップ」はボディを超える
言葉があるからこそ、想像できる。
想像できるから、認識できて、概念が広がり、思考が変わり、
そして人生が変わる。
先日読んだ「脳と体の身体地図」という本を読んで「ボディマップ」という言葉を、ちゃんと知った。
言葉は知っていたが、身体の部分的な感覚にはそれに対応する脳の部分があり、それが地図のように脳全体に広がっているものだと思っていた。
つまり身体のコントロールのことだと思っていた。
概ね間違っていないのだが、実際は身体を超える(!)らしい。
何か物を持っている時、それも身体の一部として脳は認識することができるらしい。
本では、猿が「熊手」を持ってドライフルーツを取る時に、脳が熊手部分まで「ボディマップ」が広がっていることが実験で分かったらしい。
また、マリオカートのように(本に例として挙げられてた)ディスプレイを見ながらコントロールスティックを持った実験でも、同様にボディマップ広がっていたらしい。
後者の「ディスプレイとコントロールスティック」の例はとても興味深く、
つまり「物理的につながっていなくても脳は身体の一部として認識することができる」ということ。
箸で物を掴む感覚、車の運転での車幅感覚などは、なんとなくイメージできる。
(それぞれ、得意不得意が分かれるのは、このボディマップが適切に描けているか否か、の違いであろう。字が下手な自分にも言えること。汗)
妻に話すと、ダンスを踊っている時に衣装までどう動くか意識することや、ステージや客席までイメージして踊る、とダンサーである彼女は話してくれた。
まさにそれ、ボディマップであろう。
ここで先ほどの「物理的につながっていなくてもボディマップは描ける」という点に注目すると、
認識さえすれば、物理的な距離感は関係ないことが分かる。
もっと言えば、それは物ですらある必要はない。
音は光、空間、論理的な思考や直感力、美的感覚、あるいは時間すら「認識」できれば、おそらくボディマップは広がる。
世の中の「天才」と言われる人たちは、このボディマップが一般の人と一線を画すのではないかと想像する。
想像でしかない。自分には分からない。何故ならその地図を持っていないから。
しかし、可能性はゼロではない。脳は変容するから。
脳には【可塑性】があり、変化するもの。
刺激に対して変化するのは筋肉だけでなく脳も変わる。
勉強という負荷を与えることで脳が良くなるのは、脳の可塑性によるものだ。
新しい言葉を知ることは新しい認識を得ることになる。
認識が広がれば、概念も広がり、思考の方法や大きさも変わる。
思考が変われば行動が変わり、人生が変わる。
このあたりは自己啓発系の話でよく出ることだが(笑)、それを脳科学で説明されると説得力があるものだ。笑
最後に、ジョジョの奇妙な冒険・第3部より、脳を変容させる名言をひとつ。
もっと、もっと、できると思う。
空気を吸って吐くことのように。
HBの鉛筆をベキッとへし折る事と同じように。
できて当然だと思うこと。
大切なのは「認識」すること。
できて当然と思う精神力なんです。
(表現は一部修正w)
ジョジョの奇妙な冒険・第3部より引用
人間はいつだって可能性に溢れている。
#人生賛歌
大森が一貫して伝えたい(主に自分にw)こと。