お金を稼ぎたいか?という質問に対して感じてた違和感の答え
「お金を稼ぎたいと思いますか?」
ビジネス系のセミナーなどで聞かれるこの問い。
いや、そりゃ稼ぎたいでしょ。
しかし、
「お金を稼ぎたいと思いますか?」
と聞かれることに、強烈な違和感が、ずっとある。
「そうでもない」
と答えると、
「じゃあ、お金はいらないんですか?」
と言われるので、仕方なく、
「稼ぎたいです」
と、言わざるを得ない。
しかし、この問答には、違和感がある。
で、さっき、ふと答えが分かった。
「稼ぐこと」は、例えるなら「歯を磨くこと」もっと言うと「呼吸をすること」だ
歯を磨きたいか?と聞かれたら、
食後や口の中をスッキリさせたい時には、明確に「歯を磨きたい」と思う。
しかし、いつも歯を磨きたいわけではない。
呼吸をしたいか?と聞かれたら、
そりゃ呼吸しなければ死んでしまうが、しかし、呼吸は「WANT」ではない。
「呼吸したい」と思わなくても呼吸しているし、
思わないなら呼吸したくないのか?なんて問いはナンセンスだ。
つまり「稼ぐこと」は生きるための手段であって、一時的な目標にはなり得るが、けっして目的ではないのだ。
呼吸はともかく、「歯を磨く」はせずとも生きていける。
しかし、他者に対するマナーでもあるし、自分が健康に長生きして、美味しく食事を続けるためには必要なことだ。
「歯磨き」の『先』にあるものが、目的なのだ。
お金を稼ぐことは、お金を稼ぐことの『先』のための手段であり、お金を稼ぐことが目的ではない
資産運用でさえ「お金を稼ぐ」が目的ではないはず。
お金を稼いで、資産を作って、運用して、よりお金を稼いだらゴールではなく、
より稼いだお金でさらに運用するはずだから。
(資産運用していないので想像の域を出ないが)
衣食住が確保されて、やりたいことができるようになれば、お金を稼ぐ必要はなくなるだろう。
しかし、現代の資本主義というシステムに乗っているから「手段として稼ぐ」必要がある。
お金は手段であり、システムでもある。
街中で裸で歩いていたら、逮捕される。
つまり、それが現代のシステム。
だから、稼がないとね。
お金のシステムはけっして悪いものではない
寄付や募金も、お金というシステムがあるからこそ、困っている人に善意を伝えることができる。
商売だって、モノやサービスに対するお礼や感謝の気持ちがお金に変わる。
お金があれば、社会を豊かにすることが実際にできる。
(逆に不幸にすることもできるけど)
ここで、冒頭の問いに戻るー「お金を稼ぎたいと思いますか?」
やっぱり「yes」と答えるだろう。
しかし、心では「仕方なくね」が付く。
いや、そもそも「お金を稼ぎたいと思うか」という問い自体が実はナンセンスなんだ。
「歯を磨きたいですか?」
「呼吸をしたいですか?」
と同じレベルの質問。
「当たり前」が正解かな?
違和感の正体は、つまり意味のない問答だったからだ。
言い換えれば、意地悪な質問だ。
だってyesとしか答えられない。
なるほどー。こうすると仕方なくでも、質問者に『同意を示している』形になる。
なるほどー。セミナー屋さんのテクニックだったんだ。笑