ワーク・アズ・ライフ で人生を楽しく生きていく

ライフスタイルとビジネスを枝葉末節に囚われず考察する気まぐれブログ

今に集中するということは、妄想に流れないこと。予測を立てながらも現状を捉える。

何かをしている時に、他のことを考えてしまうことって、ありますよね。

 

ある意味、予測を立てながら行動している時の「予測」ですらも「今ここ」から離れていると言える。

 

今に集中するということは、妄想に流れないこと。

あるいは、予測を立てながらも現状を捉え、逃さないこと。

 

いつもできるものではないかも知れないが、できてるな、と感じるときは、世界を明るく、クリアに感じる。

 

得しようとか、うまく生きようとか、そういうのではなく、

 

せっかくならば、明るくクリアな世界で生きていきたいと思うのだ。

 

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自分のことも分からないのだから、神様を信じることができなくて自分を信じることができる?

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自分のことも分からないのだから、神様を信じることができなくて自分を信じることができる?

 

とある友人が言っていた言葉。

 

なるほど、信心ってのは、けっきょくは

「いかに自分自身を信じられるか」に行き着くのか。

 

数年前に聞いてから、神社仏閣に行く時の気持ちが変わって、

 

去年から「酉の市」で熊手も買うことにした。

 

神頼み、というか、人事を尽くして天命を待つ、的な。

 

頑張らない人間にも、たまには運でどうにかなることもあるけど、

 

けっきょくは努力をしたり、真摯で誠実であることか報われるのだろう。

 

 

余談だが、この、いわば「運」のロジックも、少しでも解析できればと思う。

 

これは悪い意味ではなく、少しでも自分の努力でできる範囲を広げたいのだ。

 

 

自分が本当にしたいことが、自らの固定概念に制限されていた。

前回、自分の世界の広さは自分が決めている、というブログを書いたのだけど、

 

世界の広さは、自分で決めているのだなと実感した件。 - Takeshi Omori thinks so...

 

今、自分自身にある「殻」をとても感じる。

 

固定概念に囚われているなーと実感。

 

いつも、固定だったお客様が離れて気味な最近。

 

理解はされつつも、なんとなく距離を感じるのは、自分の中での固定概念にあるかも知れないと気づいた。

 

 

「今、自分がしている仕事とは、こういうこと。」

 

という固定概念に、

 

今、自分ができること全てを発揮できていない気がする。

 

 

自分の能力を高く勘違いしている(アドラー的な「優越コンプレックス」になっている)わけでは、きっとない。

 

 

自分がされて嬉しいと思うことを、相手にする。

 

自分が本当にしたいことをする。

 

そんな、初歩的なことが、自らの固定概念によって制限されていたかも知れない。

 

 

あらためて、ふと気づいた。

 

いや、いろいろなことから気づかされた。

 

うまくいってない時というのは、反省の機会でもあるが、

 

あらためて、成長の機会なんだと感じた。

 

 

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殻、破ろう。

 

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世界の広さは、自分で決めているのだなと実感した件。

とあるプレゼンをしたのだけれども、

 

それは要するに、とある商品についての効果をプレゼンするようなことだったのだけれど、

 

その商品の効果はかなり分かりやすく実感を感じてくれたのだけれど、

 

では、その商品をどんな風にオススメすれば良いか、という具体的な方法が抜けていた。

 

 

提供する側(自分)と買う側(お客様)のことは考えていたけれど、

販売したりオススメするスタッフ側に対する想像力が欠けていた、ということ。

 

 

どこまで想像力を働かせて、どこまでアプローチするのか?

 

それは自分自身で判断していることだし、

 

そしてそれが、自分の世界の広さを決めているのだと実感。

 

 

世界を、想像力を、そして自らの自由さを、広げよう!

 

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見えない大切なものを見失わない。目新しいことにた時こそ、大切なこと。

新しいことを学んだり、手に入れたりすると、

 

それに目を囚われて、

 

それ以外の大切なことを見失ってしまいがちになることに気づいた。

 

何か新しいものを手に入れるために、何かを手離すことが必要な時もある。

 

しかし、何かを手に入れた結果、気づかぬうちに大切なものを失うことだけは避けなければならない。

 

 

大切なことは、失ってから気づくことが多い。

 

なのに、繰り返してしまう性もある。

 

悲劇とは、こうやって生まれるものかも知れない。

 

 

学んだことはアウトプットしなければ!

先日のシルバーウィークに「ヨガフェスタ2016横浜」に行ってきた。

 

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ヨガの様々な講義を受けて、年々気づきが多くなっている気がする。

 

(毎年忘れているだけかな?)

 

そして、学んだことを咀嚼し取り込むために、アウトプットしなければいけない。

 

聞いたようでいて、分かったようでいて、

 

まとめようとするとイマイチまとまらなければ、

 

それは分かっていなかった、ということになり、

 

それをなんとかまとめることで理解が深まり、

 

そしてようやく「学んだ」ということになるからだ。

 

 

人に教えることが最高の学習、なんて言われるが、間違いないことだ。

 

 

全ては「拡散」したがる。いかに「収束」させるかという意志の重要さ。それはダイヤモンド。

 

モノゴトの全ては「拡散」したがる。

 

拡散することで均衡を保つ、というのが自然の摂理だ。

 

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コーヒーにミルクを入れても拡散する。

 

 

これは、人間の身体にもマインドにも言える。

 

人間も自然の一部なんだと痛感するとともに、

 

いかに「収束」させるか、人間として重要なことなんだと気づく。

 

意志の使い方は、収束だ。

 

つまり、集中だ。

 

 

自然界にも「収束」はあり、最も顕著なものが、ダイヤモンドであろう。

 

大地の驚異的な圧縮による収束は凝固に至り、最高の硬度となった奇跡の物質。

 

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「柔軟性も大事だろ?」が、一方としての意見はありつつも、

 

今の自分に必要なのは、ダイヤモンドの意志だと気づいた今日この頃。