相談に乗るのは良いけど、それがあなたの為になっているのか?(無粋な話ですが)
相談に乗るのは良いんだけど、相談している相手が、
「でも〜」
「それはそうなんだけど〜」
「いや〜、俺は性格的にちょっと〜」
って言ってるなら、
そんな相手の相談に乗っていることが、あなたにとって損失にならないか心配です。
優しいからなのか、目下格下と内心で思って心地良いのか。
どっちにしても、無粋な勘ぐり、かな。(~_~;)
戦略を考える。ゴールから考える。
ネット競技(テニス、卓球、バドミントンなど)は、見ていて本当に心臓に悪い。
昔、バレーボールをしていたが、ネット競技は本当に「流れ」に左右されることを実感した。
流れに乗っていても、流れを変えなければならない時も、メンタルの保ち方がとても難しい。
まさにメンタルのスポーツだと思う。
100m走のように10秒しないで終わる競技もあれば、マラソンのように2時間3時間集中を保たなければならない競技もある。
そう考えると、パフォーマンスを発揮するにしても、
どのようなメンタルで、どれくらいの力加減で行なうか、など、
考えることがたくさんあることが分かる。
つまり、戦略がとても重要になる。
【戦略:①勝つための総合的・長期的な計略 ②組織などの運営について将来を見通しての方策】
ただ、力が強い、運動神経がある、体力がある、では、とてもとても太刀打ちできないだろう。
ましてやオリンピックは4年に1度なのだから、4年間のトレーニング、過ごし方にだって戦略は必要だ。
そう考えると、それはアスリートだけではなく、一般の人にとっても重要なことだと分かる。
それぞれがそれぞれのライフスタイルをどう築くか。
どう在りたいか。どう成りたいか。
それを元に、身体の使い方、メンタルの持ち方、姿勢、などなど、
つまり人生の戦略が変わってくるはずだ。
ある本で「入り口を考えるのではなく、出口を考える」という言葉があり、
それはあらゆる場面で適応される言葉だと思った。
どうありたい。どう成りたいか。
それはゴールであり、そのゴールから考えて、日々のライフスタイル戦略を考えていくべきなんだろう。
と、書きながら、
個人的に、目標を立てることが苦手だし、目標よりも日々の瞬間瞬間を考えることが重要だと、何年も考えていた。
今、見えている世界で目標を立てても、
今後見える世界に行ったら、その目標はきっと変わってしまうと思うから。
それならば、今をがんばることで、地力が上がり、
そして見える世界は変わってくるものだと思っているし、
実際にそうやって生きてきた経緯がある。
(それで、成功したか?と言われれば、とりあえず生きていけている、としか答えられないレベルなのだが)
ここらへんの「折り合い」をつけていくのも、今の自分の課題だったりします。
とりあえず、ある程度のゴール(目標)を考えて、それを元に現状を考えて、ライフスタイル戦略を立てていきたいを思う今日この頃。
永遠のヨギーを観て。
ヨガナンダ、という「あるヨギー」の人生を、様々な人の証言と記録からまとめたドキュメント映画です。
ジョージ・ハリスンやスティーブ・ジョブズに影響を与えた人だそうです。
(これがこの映画の最大のキャッチだと思います)
いろいろと文脈とぶっ飛ばして、思ったことを書くと、
このヨガナンダという人は、人の心のことを深く深く知ろうとした人であり、
人の心を深く深く理解していた人なんだろう。
だから、俗っぽく言うと、人の心をつかむスピーチがうまかったのでしょう。
だからヨガという東洋の精神世界の話を、アメリカでは「科学」に置き換えた。
それは、その方が、いや、そうしないとアメリカ人の心に響かないことを理解していたから。
「脳」や「神経」と「スピリチュアル」をつなげたことが、当時の人たちにとってよほどセンセーショナルだったんでしょう。
ということは分かったのだけど、肝心のヨガナンダの凄さ、素晴らしさが、イマイチ感じられなかった。
なぜだろう?
ヨガナンダのことを証言している人たちは、みな誠実だった。
しかし、それは彼ら自身にとっての素晴らしさであり、ヨガナンダ自身の素晴らしさとは、すこし違っていたのかもしれない。
良くも悪くも、ヨガナンダの言葉や行動は、センセーショナルでありキャッチーであったため、
深層のところまでの理解は難しかったのかもしれない。
いや、それは証言者たちではなく、この映画をまとめた監督の理解が浅かった…のかも。
表向きの華やかさと裏側の地味でツライ積み重ね、はどの世界にもあるのだろう。
8/2(tue.)〜4(thu.)まで、東京ビックサイトでフィットネス関連の展示会『スポルテック2016』が開催されてました。
ハードもソフトも様々な関連商品の展示やデモが行われて、
また関連する様々な講演や講義も行われていました。
とある講義の中で、アスリートが世界に勝つための努力の話や、
現在活躍されてる人の研究や、研究結果をどう現場で活かすか、など、
具体的な話が聞けたのが良かったです。
個人的には、自分自身のパフォーマンスはそんなにすごいものにはなれないと思っているし、
クライアント様もアスリートではなく一般向けに行っているので、
世界での戦いに勝つには!
という大きな目的は持っていないのだが、
しかしながら、大なり小なり、
アスリートでも一般でも、
プレイヤーでもコーチでもサポートチームでも、
やはり表向きは華やかでも、裏は地道な努力があってこそである。
それは、どんな業界でも言えることでしょう。
当たり前なのだけど、やっぱりそれが当たり前だと再認識することが、それを忘れないためにも大切だと思ったいち日でした。
いつもと同じ、と思うことは傲慢か怠惰である。
例えば、電車はいつも同じ時間に来るのがあたり前だと思っている。
1,2分の遅れでも気になってしまうくらい、電車は正確に時間を守ってくれている認識があるから。
でも、よくよく考えると、時刻通りに電車を走らせるって、とても工夫と努力のいることであることは、少し想像力を働かせれば気づけることなはず。
例えば、ルーティンワークをする際には、いつもと同じようにすれば良い(むしろ、いつもと同じクオリティを求められる)ものだが、
しかし、マインドとして、いつもと同じでは、そのクオリティは下がるものだ。
「いつもと同じクオリティを保つ」という真摯な気持ちが、正確な「いつもと同じ」を保つ。
人間は、いつもと同じが好きだ。
その方が楽だから。
しかし、それは堕落のラクだし、
そもそも「いつもと同じ」というクオリティを保とうとしている人まで想像が及ばない、
自己中心的な傲慢さか、視野の狭い怠惰さであると思う。
「いつもと同じ」を大切に。
「当たり前」を「ありがとう」に。
そう在りたい。
5年後、10年後の絵が見えるのか?
ある大先輩が言っていた言葉。
「志しやコンセプト、想いがあれば、何でも良い」
「しかし、それで?…になる。」
「それで5年後、10年後の絵が見えるのか?」
そう考えて、その人はもうすぐ還暦だというのに、新しい別の業界へ転職するそうだ。
多くの人と接してきた人だから、普通に話していても、その人間が
「5年後、10年後が見えているか?」どうかが、分かるんだろうな。
自分には、正直、ない。
日々が少しずつ良くなる積み重ねの上に、未来があると思っている。
しかし、そんな考えは、その人から見たら、甘いんだろう。
否定ではなく、長い経験の中で、やっぱりそうなんだよ、という印象だった。
と、いうことは、きっとそうなんだろう。
5年後、10年後、かぁ。
(いい年して考えてなかったの?と、ボヤかれそうですが。)
信じてもらえるから、がんばれる。→相手を信じよう。→信頼に足る自分になろう。
人って、誰かに信じてもらえるとがんばれるものだと思う。
だから、誰か大切にしたいと思う人がいるのならば、信じてあげれば良い。
たしかに、100%信じられる人なんて、いるかどうか分からない。
自分自身のことだって、100%分かるなんて人はいないだろう。
(逆にそんな人は信用ならない。笑)
だから、誰かを信じるのは難しいのだろうか?
いや。
「信じる」というのは、あくまで主体的な言葉であり、
つまり、信じたいと思えば、自分が信じれば良いのだ。
信じよう。
そうすれば、相手はそれに応えてくれるだろう。
信じ続けよう。
一方で、自分自身は、他者から信頼を得るための努力をしなければならないと思っている。
信じることなんて、押し付けられない。
信じようと思ってもらえるかどうかは、全て自分自身の課題である。
あぁ何ということだ。その女の子は、悪い魔法使いの力を信じるのに、泥棒の力を信じようとしなかった。その子が信じてくれたなら泥棒は、空を飛ぶ事だって、湖の水を飲みほす事だってできるのに…
今はこれが精一杯。
Do you trust me?
信じてくれるヒロインがいる時のヒーローは、もれなくカッコイイでしょう?
そういうことです。
#信じる #信頼 #今はこれが精一杯