ワーク・アズ・ライフ で人生を楽しく生きていく

ライフスタイルとビジネスを枝葉末節に囚われず考察する気まぐれブログ

最近、人の話を聞くことで得られることが増えている

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昨日は「女性とアスリート」をテーマにした勉強会に参加してきました。

 

何人かの登壇者の方がいらっしゃり、話を聞く会でした。

 

先日の「ベストブレイン・ウェルネスアワード」の時にも感じましたが、

 

どんな形であれ、人のスピーチを聞くこと、そしてその人と直接お話しする機会があることは、とても楽しいことだと感じました。

 

ようやく「人の話をきけるようになった」という変化が自分にあるのかもしれないです。

 

(スピーチされた内容があると、その後の懇親会も話しやすいものですね。笑)

 

そして、自分一人完結型で仕事をしている自分にとって、

 

  • チームで仕事をすること
  • いろいろな人と協力しあうこと

 

が、これからの自分の課題かと思いました。

 

というか、そのためにはそういうスケール感の仕事を考えないと意味がありませんので、

 

今の自分の仕事から、より多くの方のお役に立てるように、という発想で、

 

そのために、だれにどのくらい何をお願いするのか?

 

そのイメージがなければ、チームでやる意味はないですからね。

 

 

逆に言うと、自分の仕事が、今のクライアントさんを通り越して、

(もちろん、今のクライアントさんを大事にしながら)

 

より多くの方に伝わる仕組みを考えることが、これからの自分の課題であり、

 

そのために他者の協力をどう得るか?

 

そのデザインをしていくこと、コツコツと、淡々と、粛々と、やっていこうと思う最近です。

 

 

 

 

言葉は認識を深め概念を広げる〜「ボディマップ」はボディを超える

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言葉があるからこそ、想像できる。

 

想像できるから、認識できて、概念が広がり、思考が変わり、

 

そして人生が変わる。

 


先日読んだ「脳と体の身体地図」という本を読んで「ボディマップ」という言葉を、ちゃんと知った。


言葉は知っていたが、身体の部分的な感覚にはそれに対応する脳の部分があり、それが地図のように脳全体に広がっているものだと思っていた。


つまり身体のコントロールのことだと思っていた。

 


概ね間違っていないのだが、実際は身体を超える(!)らしい。

 


何か物を持っている時、それも身体の一部として脳は認識することができるらしい。


本では、猿が「熊手」を持ってドライフルーツを取る時に、脳が熊手部分まで「ボディマップ」が広がっていることが実験で分かったらしい。


また、マリオカートのように(本に例として挙げられてた)ディスプレイを見ながらコントロールスティックを持った実験でも、同様にボディマップ広がっていたらしい。

 


後者の「ディスプレイとコントロールスティック」の例はとても興味深く、


つまり「物理的につながっていなくても脳は身体の一部として認識することができる」ということ。


箸で物を掴む感覚、車の運転での車幅感覚などは、なんとなくイメージできる。


(それぞれ、得意不得意が分かれるのは、このボディマップが適切に描けているか否か、の違いであろう。字が下手な自分にも言えること。汗)

 


妻に話すと、ダンスを踊っている時に衣装までどう動くか意識することや、ステージや客席までイメージして踊る、とダンサーである彼女は話してくれた。


まさにそれ、ボディマップであろう。

 


ここで先ほどの「物理的につながっていなくてもボディマップは描ける」という点に注目すると、


認識さえすれば、物理的な距離感は関係ないことが分かる。


もっと言えば、それは物ですらある必要はない。


音は光、空間、論理的な思考や直感力、美的感覚、あるいは時間すら「認識」できれば、おそらくボディマップは広がる。


世の中の「天才」と言われる人たちは、このボディマップが一般の人と一線を画すのではないかと想像する。

 


想像でしかない。自分には分からない。何故ならその地図を持っていないから。


しかし、可能性はゼロではない。脳は変容するから。


脳には【可塑性】があり、変化するもの。


刺激に対して変化するのは筋肉だけでなく脳も変わる。


勉強という負荷を与えることで脳が良くなるのは、脳の可塑性によるものだ。

 


新しい言葉を知ることは新しい認識を得ることになる。

 

認識が広がれば、概念も広がり、思考の方法や大きさも変わる。

 


思考が変われば行動が変わり、人生が変わる。


このあたりは自己啓発系の話でよく出ることだが(笑)、それを脳科学で説明されると説得力があるものだ。笑

 


最後に、ジョジョの奇妙な冒険・第3部より、脳を変容させる名言をひとつ。



もっと、もっと、できると思う。

空気を吸って吐くことのように。

HBの鉛筆をベキッとへし折る事と同じように。

できて当然だと思うこと。

大切なのは「認識」すること。

できて当然と思う精神力なんです。

(表現は一部修正w)

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ジョジョの奇妙な冒険・第3部より引用

 


人間はいつだって可能性に溢れている。

 

#人生賛歌


大森が一貫して伝えたい(主に自分にw)こと。

 

 

 

『ラッキー』について思うこと。


先日、新宿の花園神社の酉の市(一の酉)へ行って、熊手を買ってきた。


一昨年から思いつきで始めた熊手。


商売繁盛のお守りですね。

 

 


今回、いろいろと歩き回り、デザインはなん、予算は明確に(1万5千円!)お店の人に伝えて、選んでいったのだけど、


あるところな「あんちゃん」が、他のトコと比べて大きくない?な熊手を予算の価格と言ってくれて、


妻とLINEやり取りで確認して、買うことにした。

 

 


で、会計のタイミングで、会計担当のおねーさんが、


「これ、2万3千円…」


と呟き、あんちゃんが焦る。


隣にいた社長が数秒考え、


「それで良いよ」


と一言。

 

 


ひとつグレードの高い熊手をゲットしました。

 

 

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あんちゃんは「あとで社長に怒れられます!」と微妙な感じになってたけど、


社長が「運が良かったね。福を持ってってよ。その代わり来年も来て、同じのを(正規の値段で)買ってな!」


と送り出してくれたので、


「(来年のことは分からないけど)頑張ります!」


と伝えて帰ってきた。()←は心の声w。

 

 


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さて、表題の「ラッキーについて」。

 

 


熊手って、縁起物なわけですよ。


なんなら支払う方だって「ご祝儀」的な意味合いがあるも思うんですよ。


それを、安く買ってしまった、と。

 

 

 

自分の中で、なんとなく罪悪感があるというか、


そもそも「ラッキー」というのが、あまり好きでなくて。


なんか、実力ではない、というイメージがある。

 

 


しかし、運も実力の内、という言葉もあるし、


妻も喜んでいるので、


あまり気にしなくて良いのか。と感じて、


その運をどう使うか?ということを考えた方が前向きな気がした。

 

 

なにかを「運ぶ」のが「運」だから、

 

お金や知識同様、溜め込まず、シェアしてフローすることで価値が活きるのかな、

 

と思う出来事だった。

 

 


この説を証明するために、年末から来年、がんばろう。

 

 

 

ビジネススピーチコンテストに出てみた結果

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健康関連の仕事(トレーナー、インストラクター、コーチ、セラピスト、etc…)をしている関係者が自分のビジネスアイデアをプレゼンする大会に出てみた。

 

書類審査の1次選考を通り、実際にプレゼンをする2次審査。

 

結果は、落選。

 

完全に実力不足。

 

というか、すでに経営者として社会に影響を与える仕事をしている人とは、見ている世界が違い過ぎた。

 

人それぞれには役割がある。

職業に貴賎はない。

 

自分の今の仕事は、トレーナーやインストラクターとしてクライアント様に直に接するビジネス。

 

ストックもレバレッジもない

 

だが、それは第2次審査通過者たちと優越を付けるものではないと思っている。

 

しかし今回は『コンテスト』であり、しかも『ビジネスコンテスト』なので、経営者的な面で優越を付ける『ルール』として行なっている以上、そこに及ばなかったという事実は真摯に向き合わなければならないだろう。

 

このシビアな現実は、良い勉強になった。

 

…。

 

いや、全然シビアでもなんでもない。

 

所詮プレゼンなんて言葉だけなので、これを世に出すことを考えたら、全然シビアでもなんでもない。

 

今回のプレゼン大会で、また新たに知り合いになられた方も多く、

 

そして同時にSNSで、こんなこと考えてこんなこと発表した、ということを半ば公表してしまったので、

 

むしろこれから現実にしていかなければならないという、余計な(?)プレッシャーがむしろある。

 

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今回の1番の学びは、

 

たとえ7分間でも気持ちや信念がある人は、それが伝わるものなのだな、ということ。

 

優越を付けるとすれば、その覚悟というか、想いの深さが、圧倒的に足りなかった。

 

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今回の経験で『気づいてしまった』ことは、多々ある。

 

今後の人生を飛躍させなければならないところに、どうやらきてしまったみたいだ。

 

 

 

 

お金を稼ぎたいか?という質問に対して感じてた違和感の答え

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「お金を稼ぎたいと思いますか?」

 


ビジネス系のセミナーなどで聞かれるこの問い。

 

いや、そりゃ稼ぎたいでしょ。


しかし、

 

「お金を稼ぎたいと思いますか?」


と聞かれることに、強烈な違和感が、ずっとある。

 

 

「そうでもない」


と答えると、


「じゃあ、お金はいらないんですか?」


と言われるので、仕方なく、


「稼ぎたいです」


と、言わざるを得ない。

 

 

しかし、この問答には、違和感がある。

 

で、さっき、ふと答えが分かった。

 

 


「稼ぐこと」は、例えるなら「歯を磨くこと」もっと言うと「呼吸をすること」だ

 

 

歯を磨きたいか?と聞かれたら、


食後や口の中をスッキリさせたい時には、明確に「歯を磨きたい」と思う。


しかし、いつも歯を磨きたいわけではない。

 

 

呼吸をしたいか?と聞かれたら、


そりゃ呼吸しなければ死んでしまうが、しかし、呼吸は「WANT」ではない。

 

「呼吸したい」と思わなくても呼吸しているし、


思わないなら呼吸したくないのか?なんて問いはナンセンスだ。

 

 

つまり「稼ぐこと」は生きるための手段であって、一時的な目標にはなり得るが、けっして目的ではないのだ。

 

 

呼吸はともかく、「歯を磨く」はせずとも生きていける。


しかし、他者に対するマナーでもあるし、自分が健康に長生きして、美味しく食事を続けるためには必要なことだ。


「歯磨き」の『先』にあるものが、目的なのだ。

 

 


お金を稼ぐことは、お金を稼ぐことの『先』のための手段であり、お金を稼ぐことが目的ではない

 

資産運用でさえ「お金を稼ぐ」が目的ではないはず。


お金を稼いで、資産を作って、運用して、よりお金を稼いだらゴールではなく、


より稼いだお金でさらに運用するはずだから。


(資産運用していないので想像の域を出ないが)

 

 

衣食住が確保されて、やりたいことができるようになれば、お金を稼ぐ必要はなくなるだろう。


しかし、現代の資本主義というシステムに乗っているから「手段として稼ぐ」必要がある。

 

 

お金は手段であり、システムでもある。


街中で裸で歩いていたら、逮捕される。


つまり、それが現代のシステム。


だから、稼がないとね。

 

 

 

お金のシステムはけっして悪いものではない


寄付や募金も、お金というシステムがあるからこそ、困っている人に善意を伝えることができる。


商売だって、モノやサービスに対するお礼や感謝の気持ちがお金に変わる。


お金があれば、社会を豊かにすることが実際にできる。


(逆に不幸にすることもできるけど)

 

 


ここで、冒頭の問いに戻るー「お金を稼ぎたいと思いますか?」

 

やっぱり「yes」と答えるだろう。


しかし、心では「仕方なくね」が付く。

 


いや、そもそも「お金を稼ぎたいと思うか」という問い自体が実はナンセンスなんだ。

 

「歯を磨きたいですか?」

 

「呼吸をしたいですか?」

 

と同じレベルの質問。

 

「当たり前」が正解かな?

 

 

違和感の正体は、つまり意味のない問答だったからだ。

 


言い換えれば、意地悪な質問だ。


だってyesとしか答えられない。

 

 


なるほどー。こうすると仕方なくでも、質問者に『同意を示している』形になる。


なるほどー。セミナー屋さんのテクニックだったんだ。笑

 

 

 

 

 

 

勇気をくれた君に照れてる場合じゃないから

 

『勇気をくれた君に照れてる場合じゃないから』

 

久保田利伸LA・LA・LA LOVE SONG』の一節。

久保田利伸 『LA・LA・LA LOVE SONG』 - YouTube

 

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LOVE SONGなんだから恋愛の歌なんだけど、

 

『勇気をくれた君に照れてる場合じゃないから』の

 

『君』を

 

恋愛だけじゃなく『勇気をくれた全てのもの』

 

と読み換えたら、

 

例えば、親、友人、先生や師匠、

人だけでなく、本、映画、それこそ音楽、

また、ちょっとした経験や出会いなどの機会などに、

 

『勇気をもらう』ことって、たくさんあると思うのです。

 

 

それらの『人/モノ/機会がくれた勇気』を、何かしらの行動に移さないことって、

 

『勇気をくれた人/モノ/機会』に失礼だし、残念なことだと思える。

 

 

だから、『照れる場合じゃない』!

 

『言葉より本気なLOVE SONG』を歌うように、

 

『言葉より本気な、行動』を起こし続けよう!

 

 

人の役に立つことが仕事であり、人の役に立つほどに稼げる、を前提にして今の自分の収入を確認してみる

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人の役に立つことが仕事であり、人の役に立つほどに稼げる、を前提にして今の自分の収入を確認してみると


「人の役に立っている度合い」は、まだまだ低いのだろうと思うこともある。


しかし逆の見方をすれば、そんな自分の“商品”を買ってくださる人もいるから少なくとも収入を得られている、という現実も見える。


というか、そもそも仕事を始めたてのことを思い出すと、


今より知識も経験もスキルも低い自分から、今と変わらない単価で“商品”を買ってくれる人もいるわけで、


過去を振り返ってみても、今を見直してみても、実はかなり有り難いことだと思えるわけです。


『お客様は神様です』とは、こういうことですね。

 

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いや、ホント有難いことですよ!


「何者でもない自分」を信頼してくれているのだから。


もちろん失敗もあるし、全ての人に受け入れられることはない。


これは新人の時に限らず、どんなキャリアのタイミングであっても起こること。

 

だからこそ、真摯に仕事と向き合い、勉強/成長/発展し続けなければならない。


ビジネスの基本ってココだなーと、もう何周も迷子になりながら、ようやく辿り着いた。

 

(また迷子にならないよう、書き綴ってます)


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私事ですが、ここ数ヶ月、急激にビジネス面が発展している。


自分でも驚くスピード感なのだが、自分の人生ではたまにこういうことが起こっている。


予想も想定もしなかった形だが、うまく乗りこなせるようがんばろう。

 

 

この発展は、確実により多くの方により大きく役立てることだと思うから。